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大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)3359号 判決 1980年10月21日

原告(兼・尾池君子訴訟承継人) 尾池貞太郎

右訴訟代理人弁護士 小川邦保

同 本田陸士

同 小林淑人

同 柳谷晏秀

同 森正博

被告 大川産業株式会社

右代表者代表取締役 安岡淳規

右訴訟代理人弁護士 奥西正雄

主文

被告は原告に対し三六〇万円および内三〇〇万円に対する昭和四八年七月二六日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は四分し、その三を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

一  原告

1  被告は原告に対し一、六〇〇万円および内一、四〇〇万円に対する昭和四八年七月二六日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二原告の請求の原因

一  原告および亡・尾池君子(以下、君子という)の夫婦(以下、両名合せて原告らという)は、昭和四一年七月一日より、被告が所有する大阪市南区三津寺町三二番地一所在三津寺ビル(以下本件ビルという)のビル管理人として被告に雇用され、本件ビル一階管理人室に住み込み勤務し、本件ビルの保安、夜間の見廻り、集金等のビル管理の業務に従事していたが、昭和四八年七月二五日退職した。

二  本件ビルの管理人室および地下変電室の構造等

(一)  本件ビルは鉄筋コンクリート造陸屋根塔屋一階地下一階付三階建の店舗兼共同住宅であって、いわゆる雑居ビルとして使用され原告らが管理人として住込んでいた管理人室(以下、単に管理人室という)は、一階出入口のすぐ右側に位置し右管理人室の直下に、地下一階の変電室(以下、単に地下変電室という)があった。

右地下変電室への出入口は、管理人室内の金網張り床を上げることによって出入できる構造になっていた。地下変電室には北側隅に換気口は一ヵ所しかなく、そのうえ小さくまた換気扇が不良で十分機能しなかったため、新鮮な換気、排気は絶無に等しく、空気は汚れ、異臭を放っている状態であった。そのうえ右管理人室とは前記のように金網張り床で通気上一体といえる構造となっており、地下変電室の換気等が不完全なため、管理人室の状態も同様ひどいものであった。そのうえ夜間においては、防犯対策上管理人室の窓や出入口をすべて閉鎖するため、換気排気は一層悪くなり、地下変電室からの排気がすべて管理人室に充満するような状態であった。

(二)  また地下変電室には、変圧器三基が設置され、本件ビルの各部屋への電力供給調節をなしていたが、本件ビルはミナミの歓楽街の一角に位置し本件ビル内でも飲食店等深夜まで営業する店舗が雑居しているため夜間の方が昼間より本件ビルの電気使用量が多い状態であった、右変圧器はしばしば停電、故障などがおこり、変圧器から油がにじみ出るなどの不調が続いて強い油臭を発し、それが地下変電室および管理人室一杯に充満するようになった。

三  原告らの被害の発生とその原因

(一)  原告らは、昭和四一年七月一日の入社当時、健康な状態であり、当初異常なくビル管理の業務に従事していたが、翌昭和四二年頃より健康を侵され、次のような様様な症状を呈するようになった。

(イ) まず自覚症状としては、全身の脱力感、疲労感、激しい頭痛、頭重、はき気、記憶力減退、精神集中力の減退などがある。

(ロ) 皮膚症状としては、全身ににきび状の皮疹を生じ口中に出来物ができ、爪が紫色に変色してはがれたり、歯肉がはれたり、上眼に小さな発疹が生じたり、激しい発汗があったのである。

(ハ) 眼症状としては、目やにが増加し、眼粘膜が濁り、日光を浴びた場合の眼の痛みがひどくなった。

(ニ) その他の症状として、腰痛、手足のしびれと痛み、皮膚の色が黄黒色変化し、脱毛の量も多く、発熱が頻発し、風邪をひきやすく、せきこむことがたびたびあり、腰痛や下痢も続いた。

(ホ) そのうえ、妻君子は肺結核となり、呼吸困難、咳、タンがでる等の症状がずっと続き、昭和五一年一二月二七日死亡するに至ったのである。

(二)  このような原告らの症状の原因は、管理人室および地下変電室の著しい空気の汚れと地下変電室にある変圧器内の絶縁油にPCBが使われ、その変圧器が本件ビルにおける電気使用量の増加や絶縁油の耐用限度を超えていたため変圧器が高熱を帯びることにより変圧器内のPCB含有の絶縁油が気化して管理人室まで充満していたためであることは明らかである。すなわち、原告らは長期間管理人室に居住し勤務することにより汚染した空気を吸入し、また空気中に充満していたPCB毒素の暴露をうけていたのである。

(三)  なお、原告らの昭和二九年以降の生活歴、職歴は次のとおりである。

まず、昭和二八年から昭和三一年まで保険勧誘員をし、昭和三一年から昭和三六年まで靴の販売店に勤め、昭和三六年から昭和三七年までアパート(地下室、変電室その他機械室はなかった)の管理人をし、昭和三七年から昭和四一年までは大阪府自動車製造卸協同組合のビル(単なる事務室であり、地下室、変電室その他機械室はなかった)の管理人と雑用係として勤務した。

このように、原告らは健康を害されるような環境に居住したこともなく、またPCBの暴露を受ける可能性のある職に就いたこともなく、特に魚等PCBを含有している可能性のある食物を大量に摂取したこともなく、その他PCBに触れる機会は全くなかった。

四  被告の責任

(一)  債務不履行責任

原告らは、前記のとおり昭和四一年七月一日より被告の従業員として雇傭され、本件ビル管理人として管理人室に住込みでビル管理の業務に従事していたものであるが、雇傭者たる被告としては原告らが右業務に従事するにおいて、原告らの身体の安全や健康を損うことのないように安全且つ良好な労働環境を整え、原告らの身体の安全や健康の保持について十分な配慮をすべき義務がある。

ところが、前記のとおり本件ビルの管理人室、地下変電室の設備、構造の瑕疵のため原告らは極めて劣悪な不健康、不衛生な労働環境のもとにおかれ、そこで業務に従事することを余儀なくされ、原告らは被告に対し、度々右のような劣悪な労働環境の改善方を要求してきたが(原告らは、被告に対し換気の悪さやトランス・オイルの気化による地下室の異臭等につき何度も訴えていた。)、被告はこれを無視し、何ら適切な措置も講じようとしなかった。その結果、原告らをPCB中毒による諸症状によって苦しめ、さらに君子を死亡させるに至らしめたのである。

したがって、被告には良好な労働環境を維持する契約上の義務に反したことによる債務不履行責任により、原告らの後記損害を賠償しなければならない。

(二)  不法行為責任

1 原告らは、業務の性質上、一日の大半を管理人室、地下変電室で過さざるを得なかったのであり、そのあまりにもひどい空気の汚れや、変圧器から発する異臭によるさまざまな身体の不調を被告に訴え、変圧器の異常の有無の調査、地下変電室の設備、構造の改善や修理をしばしば要求してきたのであるが、被告は昭和四三年九月、一〇月になって、ようやく変圧器の油を入れかえたのみで、何らの措置をとることなく原告らを劣悪なる環境のもとに放置してきた。

被告としては、右のような状況下においては原告らの身体、健康が損われる危険性があることを十分認識し得たにも拘らず、何ら適切な措置を講じなかったため、原告らに本件被害を発生せしめたものであって、不法行為責任により原告らの後記損害を賠償すべき義務がある。

2 本件ビルの管理人室、地下変電室の設備、構造は前記のとおりであって、原告らの身体・健康を損うような不完全なものであり、本件ビルの管理人室、地下変電室の位置および構造を右のような不完全なかたちに設置し、それを改善しようとしなかったことは、土地の工作物の設置および保存に瑕疵があったものというべく、そのため原告らに本件被害を発生させたのであって、被告は土地工作物の所有者として、原告らの後記損害を賠償しなければならない。

五  損害

(一)  慰藉料一、四〇〇万円

原告らは、被告に雇用されるまで健康であったのであるが、前記被害を蒙ったため筆舌に尽し難い苦しみに陥いり、現在も種種の障害に悩まされている。原告らは前記被害のため、遂に会社を退職せざるを得なくなり、その後劣弱な体を押して再就職の途を求めたがもちろん原告らの身体状況では雇用してくれるところはどこもなく、原告は、現在生活保護を受けることによってようやく生活している状態である(なお、君子が昭和五一年一二月二七日に死亡したことは前記のとおりである。)。

原告は、現在も前記障害を克服するためいろいろと治療を試みているが、回復の見込みはうすく今後就労の可能性はない。しかるに、被告は原告らの本件被害の責任を否認し、退職の止むなきに至らせ、今日まで原告らに何らの誠意を尽すことなく原告らを放置している。以上のような状況のもとにおいて、原告らの蒙った精神的肉体的苦痛は甚大であり、経済的損失も多大であって、金銭に見積ることは困難であるが、少なくともそれら損害は原告らにおいて、各七〇〇万円、合計一、四〇〇万円を下るものではない。

(二)  弁護士費用二〇〇万円

原告らは本訴を提起するための訴訟費用も捻出できない貧困状態にあるため、法律扶助協会を通じて本件訴訟遂行を原告ら代理人らに委任し、同協会は昭和五〇年七月一四日訴訟費用、実費のほかに原告ら代理人らに支払うべき手数料として金一六万円、昭和五〇年一一月二八日証拠保全の費用、実費のほかに原告ら代理人らに支払うべき手数料として二〇万八、九五〇円を原告らに代って原告ら代理人らに立替払いをしたので、原告らは右同額の債務を負担した。さらに原告らは同協会が決定する額の成功報酬を原告ら代理人らに支払うことを約束しているが、同協会の決定額は認定額の一割を下ることがないのが通例である。従って被告が負担すべき弁護士費用は各一〇〇万円、合計二〇〇万円が相当である。

六  君子は、本訴の係属中である昭和五一年一二月二七日死亡したので、原告は、相続によりその権利義務全部を承継し、本訴のうち君子関係部分を受継した。

七  よって、原告は、被告に対し、原告らの蒙った損害合計一、六〇〇万円および右金員より弁護士費用を控除した一、四〇〇万円に対する被告の加害行為の終了の日の翌日である昭和四八年七月二六日より完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三被告の答弁

一  請求の原因一記載の事実は認める。

二  同二、(一)記載のうち、本件ビルの構造、管理人室および地下変電室の位置が原告主張のとおりであること、管理人室から地下変電室に出入りする構造となっていたこと、換気口が一ヵ所であったことは認めるが、その余の事実は否認する。

同二、(二)記載のうち、本件ビルには地下変電室に変圧器が設置されており、また深夜まで営業する店舗が若干存在していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

三  同三、(一)記載のうち、君子が肺結核となったことは認めるが、その余の事実は知らない。

同三、(二)記載の事実は否認する。

四  同四、(一)記載の事実は否認する。

同四、(二)記載のうち、原告らが管理人室に所在する時間の多かったこと、昭和四三年八月原告が地下変電室の臭を訴えたこと、同年九月および一〇月に地下変電室の一五キロワットの変圧器三基の油を入れかえたことは認めるが、その余の事実は否認する。

五  同五記載の事実は争う。

六  同六記載の事実は認める。

第四証拠関係《省略》

理由

一  請求の原因一記載の事実は当事者間に争いがない。

二  本件ビルの管理人室および地下変電室の構造等について。

請求の原因二、(一)記載の事実のうち、本件ビルの構造、管理人室および地下変電室の位置が原告主張のとおりであること、管理人室から地下変電室に出入りする構造となっていたこと、地下変電室の換気口が一ヵ所であったこと、同二、(二)記載の事実のうち、本件ビルには地下変電室に変圧器が設置されており、また本件ビルの中には深夜まで営業する店舗が若干存在していたことについては当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、

(1)  本件ビルは昭和三六年一二月に建築されたものであり、その管理人室および地下変電室の状況は概ね別紙記載のとおりである。

(2)(イ)  本件ビルが建築されたとき、地下変電室に大阪変圧器株式会社製造の二〇キロワットの変圧器一基、一五キロワットの変圧器二基(いずれも中古品)が設置されたが、その際右各変圧器に新しい絶縁油が入れられていた(なお、中古品の変圧器を設置する場合であっても、設置のとき新しい絶縁油が入れられる。)。

(ロ)  昭和四〇年五月右二〇キロワットの変圧器は廃棄され、これにかわって大阪変圧器製造の五〇キロワットの変圧器一基(中古品)が設置された。

(ハ)  昭和四二年八月一一日一五キロワットの変圧器一基(中古品)が地下変電室に増設された。

(ニ)  昭和四三年九月二三日前記(イ)の一五キロワットの変圧器二基の絶縁油の入れ替えがなされ、同年一〇月一三日前記(ハ)の一五キロワットの変圧器一基についても絶縁油の入れ替えがなされている。

(ホ)  昭和四五年七月二六日前記(イ)の一五キロワットの変圧器二基および前記(ロ)の五〇キロワットの変圧器一基の絶縁油の入れ替えがなされているが、その新しい絶縁油にはPCBが含有されていなかった。

(ヘ)  昭和四六年八月二二日前記(ハ)の一五キロワットの変圧器一基が使用不能となって廃棄され、松下電器産業株式会社製造の二〇キロワットの変圧器二基(新品)が地下変電室に増設されたが、右増設の各変圧器の絶縁油にPCBは含有されていなかった。

(3)  右のように変圧器が増設され、あるいはその絶縁油の入れ替えがなされたのは、本件ビル内に入居している者達の電気の使用量の増大に変圧器の容量が追いつけず、しばしば停電を繰り返していたために入居者からの苦情があり、また昭和四二年頃以降地下変電室から異臭が発生するようになり(特に電気の使用量が増える夜間には異臭は強かった)、管理人室まで臭ってくる状態であったために、管理人である原告自身より被告への訴えがあったからである。

(4)  昭和四三年七月一四日地下変電室の高圧線のケーブルヘッドに絶縁油がたまり、これが発火するという事故が発生した。その際始めて地下変電室にも換気扇のあることが判明したが、その換気扇が故障していたので、同年一〇月になって右換気扇およびダクトの取り替え工事がなされた。

(5)  地下変電室の一五キロワットの変圧器三基の絶縁油が入れ替えられ、換気扇等の取り替え工事がなされた昭和四三年一〇月以降は、地下変電室の臭気は少なくなった。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》 殊に右検証の結果部分により認められる三津寺ビル電気設備明細書には、本件ビル建設当時地下変電室に設置された一五キロワットの変圧器が三基であったが如き記載があるが、その記載は設置後数ヵ月後になされたことになっており、しかもその一部が訂正されているなど、前認定の(2)、(ハ)の事実に照らすと、採用できない。

三  原告がPCB中毒に罹った事実について。

《証拠省略》によれば、

(1)  原告は、明治四四年生れの男性であり、被告に雇傭された当時健康な状態であったが、昭和四二年頃より「よく風邪をひく、たんがたまり呼吸が苦しい」などの症状があらわれ、医者通いするようになり、昭和四三年頃になると「身体が重苦しい、のどや目の調子が悪い、全身が痛む、身体がだるい」といった症状があらわれ、昭和四四年頃になると「寝ていても呼吸が苦しい、臭い汗が多く出る」といった症状があらわれ、その後原告の身体の状態にそれ程の変化もみられなかったが、昭和四七年七月高血圧症により右半身不全となり、言語障害も起きた。

(2)  原告は、自己の右各症状がPCB中毒によるものではないかとの疑いを持ち、被告会社を退職したのちの昭和四九年初め頃医師梅田玄勝の診断を受けたところ、PCB中毒と診断された。

(3)  原告がPCB中毒に罹っていると診断されたその根拠は、① 問診の結果えられた原告の愁訴がカネミ油症患者のそれと類似していること、② 診察の結果、PCB特有の、塩素、瘡様皮疹が左耳介背側に、色素沈着が球結膜、瞼結膜、手足の爪にみられたこと、③ 検査の結果、血液中のPCB濃度が17PPBで、健常者のそれが3±1PPB、カネミ油症患者のそれが5±3PPBであるのに比較して高濃度のものであり(但、腹壁脂肪組織のPCB濃度はウェット・ウェイト・ベイスィスで九九七PPB、ファット・ウェイト・ベイスィスで一二七六PPBであって、健常者のそれよりも低濃度である。)、検出されたPCBが変圧器に使用されていた五塩化物を主体とするものと同類のPCBであることが判明したことにある。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定の事実によれば、原告は、昭和四二、三年頃よりPCB中毒に罹患していたものというべきである。

四  原告がPCB中毒に罹った原因について

《証拠省略》によれば、

(1)  わが国で一般にPCBが絶縁油として使用されていなかった頃は、変圧器の容量を超えた電力消費のため変圧器が過熱し、よく爆発事故を起したが、PCBが絶縁油として使用されるようになってからは(但、昭和四七年頃その使用がやめられている。)この種の事故が根絶された。そして昭和四二、三年頃はPCBが絶縁油として使用されていたが、特に高電圧用の変圧器にPCB含有の絶縁油が使用されることが多く、地下変電室に置かれていた変圧器も六、〇〇〇ボルトの高電圧用のものであった。

(2)  被告に出入りしている電気工事業者三和電興は、昭和四二年二月二一日被告に対し、変圧器の絶縁油の効力は約三年であり、入れ替えの時期が来ているので地下変電室の変圧器の絶縁油を入れ替えたいと申入れ、その際絶縁油の単価として一缶当り四、〇〇〇円の価格を示したが、右価格はPCB含有の絶縁油の値段であった(《証拠省略》により認めることができる。)。

(3)  昭和四二年八月一一日に増設された一五キロワットの変圧器の外側はその使用中油でかなり濡れていた。

(4)  地下変電室の換気扇等を取り替えたとき(昭和四三年一〇月)、換気扇に油が付着していた。

(5)  被告の総務部管理課長佐久間守がつけていた業務日誌の昭和四三年八月一二日の欄に「変電室で何かにおいがして、のどが変で医者にかかっていると原告からの申し出があった」旨の記載がみられ、原告が本件ビルの管理人の立場でつけていた管理日誌の同年九月六日の欄に「先月五日からのどの医者にかかっている」旨の記載が、同年同月一四日の欄に「毎日臭気ガスで苦しんで居ります、一日も早くしていただかないと病気も良好になりません」との記載がある。

(6)  原告がPCBに汚染されたのは、原告が医師梅田玄勝の診断を受けたとき(昭和四九年初め頃)よりかなり以前に遡る。

(7)  PCB中毒は、潜在型、内臓型、顕在型、遅発型の四つに分けることができ、遅発型とは潜在型より内臓型あるいは顕在型に移行するもので、潜在型中毒であったのが、その後三年を経て顕在型中毒に移行した例もある。

(8)  PCBが日本で生産されるようになったのは昭和二九年からであり、その頃からの原告の職歴等についてみると、神戸市内に居住しながら昭和二八年から昭和三一年までは保険勧誘員として、昭和三一年から昭和三六年までは靴の販売店に勤めていたもので、昭和三六年から昭和三七年までは大阪市内のアパートの住み込み管理人をし、昭和三七年から昭和四一年までは住み込みで大阪府自転車製造卸協同組合のビルの管理と雑用の仕事についていたもので、PCBに汚染されるような環境にいたことはない。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定の事実ならびに前記一ないし三で認められた事実を基礎に、原告がPCB中毒に罹った原因についてみると、昭和四二年八月一一日地下変電室に設置され、昭和四六年八月二二日廃棄された一五キロワットの変圧器一基については、その設置約半年前に被告と被告に出入りしている電気工事業者三和電興との間になされた絶縁油入れ替えについてのやりとりの状況、原告のPCB中毒の原因物質が変圧器に使用されていた五塩化物を主体とするPCBであること、原告の生活歴をみても本件ビルの地下変電室の右変圧器以外に、その汚染源とみられるものがないことならびに原告が体の不調を訴え始めた時期が右変圧器の設置の時期にほぼ合致していることよりすれば、その絶縁油としてPCB含有のものが使用されていたものとみるほかはなく、また右変圧器が地下変電室に置かれていた頃は本件ビルの電力消費量の増加に変圧器の容量が追いつけず、しばしば停電事故が発生し、地下変電室から発生する臭気が強かったこと、右変圧器の外側が油で濡れたようになっていたり、地下変電室の換気扇に油が付着していたこと、(昭和四三年一〇月)ならびに地下変電室と管理人室との位置関係およびその換気の不十分さよりすれば、右変圧器中のPCB含有の絶縁油が過熱により気化し、原告の気道を経てその体内に入り、よって原告がPCB中毒に罹ったとみるべきである。

右の点に関し、被告は、地下変電室の変圧器の中にはPCB含有の絶縁油は使用されていなかったと主張し、地下変電室の変圧器から採取された絶縁油の分析結果報告書を提出しているが、いずれも現存の変圧器の中の絶縁油についての検査結果に過ぎず、右の結論を左右するものではない。

五  被告の責任

被告は、原告らを本件ビルの住み込みの管理人として雇傭したものであり、原告らの健康に危険が生じないような労働環境を保全すべき労働契約上の義務を負うものと解せられるところ、前認定の二、(3)および四、(5)の事実、《証拠省略》によると、原告が被告に対し昭和四二年頃より地下変電室の変圧器から臭気が発生することを訴え、その善処方を要望していたにもかかわらず、これを放置し、昭和四三年九月、一〇月になって漸く地下変電室の変圧器の絶縁油の入れ替えおよび換気扇等の取り替え工事を行ったに過ぎず、そのため、原告がPCB中毒に罹患し、あるいはその症状が増悪したことが認められるから(右認定を左右する証拠はない)、被告において右労働契約上の義務に違反していることとなり、その余の点につき判断するまでもなく、被告は原告に対し、その蒙った後記損害を賠償する責任がある。

六  損害

(一)  慰藉料

原告がPCB中毒により苦しんでいることは前記三、(1)で認定したとおりであり、原告が老令であることによる影響を勘案してみても、PCB中毒のみによって受けた原告の苦痛はかなり大きなものであったといえるのであり、本件にあらわれた一切の事情を斟酌し、それを慰藉するに足りる金員は三〇〇万円をもって相当と考える。

(二)  弁護士費用

前記認容額その他本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、弁護士費用として、原告は被告に対し六〇万円を請求しうるとするのが相当である。

七  本件請求のうち、君子が蒙ったとする損害分について。

原告の妻・君子は、原告と同じくPCB中毒に罹ったと主張して、被告に対し本訴に及んでいたものであり、また昭和五一年一二月二七日君子が死亡し、原告において相続によりその権利義務全部を承継し、本訴のうち君子関係部分を受継したことについては当事者間に争いがない。

よって、本件請求のうち、君子の蒙ったとする損害の賠償請求部分についてみるに、君子も原告と同じような症状に悩まされていた旨の原告本人尋問の結果があるが、《証拠省略》によれば、君子自身結核のため昭和四四年七月二日から同年一一月一九日までの間入院していたことが認められ、また君子が専門医による診断を受けていないことならびにこの種の中毒には往々にして個人差がある事実に徴すると、君子がPCB中毒に罹ったとする点について立証不十分なものというべきであり、その余の点につき判断するまでもなく、右請求部分は失当であり棄却を免れない。

八  よって、原告の請求は、原告自身の、慰藉料三〇〇万円および弁護士費用六〇万円ならびに右慰藉料に対する雇傭関係終了後の昭和四八年七月二六日より完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法九二条本文を適用して、これを四分し、その三を原告の、その余を被告の各負担とし、主文のとおり判決する(なお、仮執行の宣言は相当でないからこれを付さないこととする。)。

(裁判長裁判官 乾達彦 裁判官 井深泰夫 市川正巳)

<以下省略>

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